Okinawa航時機 古写真から読みとく、当時の街の姿 住宅街の憩いの場所〜夫婦瀬公園
上)1975年ごろの夫婦瀬公園。奥に見えるのは、県下で初めての公営住宅として建築された若狭市営住宅
下)現在の夫婦瀬公園。若狭市営住宅は1979年に建て替えられ、9~10階建て6棟になった
撮影:米嵩慎二
子どもたちの遊具となった夫婦岩
1975年ごろの那覇市若狭にある夫婦瀬(ミートジー)公園の写真。夫婦岩とよばれる大小5つの岩の奥に、1956年に建てられた若狭市営住宅が見えている。
名前に瀬(ジー)とあることからもわかるように、もともとは遠浅の海岸で、海の中にはえていた岩たち。よく見ると、下の方はノッチ呼ばれる波でえぐられたあとがあることがわかる。
夫婦岩の名前の由来に関しては、昔まだ岩が海の中に立っていたころ、親の決めた結婚をしたものの仲が悪かった夫婦がいて、あれこれ考えた家族が2人をこの岩の上に置き去りにして帰ったところ、翌日迎えに行くころには仲睦まじくなっていたという言い伝えがある。
さて、そんな岩も戦後の開発で埋め立てられることになる。岩を壊すのがめんどうくさかったのか、自然の岩を利用した公園が良いと思ったのか、はたまた地域の歴史を残したかったのか、岩はそのままになり、子どもたちの良い遊び場になった。なぜそれを知っているかと言うと、僕が幼いころに遊び回った場所だからだ。
公園として本格的に整備されたのは復帰後で、今でもその時の名残が残っている。例えば公園の境界線を示すドーナツ状の柵は、半世紀近くたっても変わらずに残っている。
後に植樹された木々は、大きく育ち、中には5階建ての建物と同じくらい伸びているものもある。
ただ岩場の上の雑草が、伸びているのが寂しい感じがする。僕らの子ども時代は、草が伸びる間もないくらい、子どもたちが岩場の上を走り回っていたから。今の子どもたちは、どこで遊んでいるのだろうか?