歩いて見つけた 石獅子探訪記 その2
各地に鎮座する村落獅子を訪ね歩き、調査を続ける若山夫妻。石獅子をめぐるレポートを毎月お届けします。
週刊かふう2016年2月5日号に掲載された内容です。
その2 西原町の巻
■石獅子界の重要なポスト
石獅子を調べていると、西原町と与那原町の境に位置する「運玉森(ウンタマムイ)」を外しては、石獅子界(どんな界?)を語ることができないほど、重要なポストであることが分かります。
沖縄戦で激戦地となった運玉森では、戦後、不発弾が自然発火により幾度となく爆発し、山火事が絶えなかったといいます。そのため西原町だけでなく、周辺地域の石獅子も、運玉森の方向へ向けられていることが多いようです。
今回は、そんな運玉森に顔を向けて現存している呉屋の1体と、その呉屋に向けて対で置かれている桃原の2体の石獅子を紹介しましょう。
■コミカルな呉屋の石獅子
西原町のほぼ中央に位置する呉屋の石獅子は、おおむね南の運玉森に向けて安置され、集落を守る役目を果たしています。製作年代や製作者などについては分かっていません。
この石獅子、失礼ながら面白おかしい風貌。不思議なバランスの姿…1・5等身ぐらいでしょうか? 愛嬌があり、にんまりと笑みがこぼれます。作者もこんな感じだったのかな? と想像してしまいます。
顔を中心に黒ずんでいますが、かびやコケだけでなく、お線香の煙の影響もあるように思います。これも、呉屋集落で大切に崇められてきた証のひとつだろうと思っています。
■100年ぶりの再会桃原の石獅子
運玉森のすぐ北の集落・桃原には、対の石獅子が安置されています。平成8年、宅地造成中に地中から掘り出されたのだそうです。実に100年ぶりの再会!
言い伝えによると当時、呉屋の青年たちが夜中に石獅子の向きを変えたりすることがあり、よそに持って行かれることを恐れた集落の人が、地中に埋めたとのこと。そのため、現在は呉屋への「返し」として、呉屋集落の方を向いています。当時の青年たちが何のために向きを変えたのかは不明ですが、石獅子が持つパワーが信じられていたことがうかがえます。
この石獅子、対で安置されているうえ、沖縄でよく見かける石獅子とは表情も異なり、中国や本土の狛犬の影響を随分と受けているように感じます。また、全体的に朱色に塗られていた跡が残っていると資料に記されています。いつ頃のことかは不明ですが、中国や本土の狛犬の口の中を朱色で塗ったものが見られるそうなので、これが影響しているのではないかと推測しています。
しかし、近くに神社などはありません。琉球石灰岩で作られていますが、もしかすると元々はどこか遠くから持ち込まれた石獅子なのでしょうか。それとも、中国で修行してきた石大工(イシゼーク)が桃原に存在していたのでしょうか。
4世代前のご先祖様なら、真相を知っているかもしれませんね。会いたいな〜♥