納得! 目からうろこの土地評価 File.17 バブル期との地価比較(住宅地編)
新たな視点から不動産市況やポイントを考察する本コラム。今回は、「バブル期」と現在の地価を比較しながら、当時の土地価格がどれほどだったのかを振り返ってみましょう。住宅地と商業地に分けて、2回にわたってお届けします。
週刊かふう2025年6月6日号に掲載された内容です。
まだまだ及ばないバブル期の地価
バブル崩壊後、沖縄県も他の地域と同様に長い経済不況に入るのですが、果たして地価はどのように推移し、いつ頃回復したのかについてお話したいと思います。
まず、地価公示の推移を表したグラフ(下図)を見てみますと、平成4年のバブル崩壊後も、沖縄県の住宅地ではわずかながら地価の上昇が続いていたことがわかります。バブルの絶頂期に、沖縄県で最も高かった住宅地の地価は、地価公示のデータによれば那覇市泊1丁目の地点で、当時は1平方メートルあたり48万円という水準でした。
この地点は現在の地価公示では調査対象から外れていますが、近い地点には泊2丁目の地点(那覇-7)があり、今年3月発表の地価公示では、32万円/㎡と公示されています。正確な比較はできませんが、両地点の地域性や個別的な特徴を考慮したとしても、現在の地価はバブル期の水準にはまだまだ及ばない、ということになります。
余談ですが、現在の新都心エリアの土地区画整理事業が始まったのが平成4年ごろ。まだなにもない状況でしたから地価公示や地価調査の対象地点が存在していませんでした。
1992年地価公示(住宅)で最高値だった那覇市泊1丁目の住宅地
18年間の下落とその背景
沖縄県の場合、バブル崩壊後もごくわずかではありますが、地価の上昇が見られました。この頃は現在と異なり、沖縄の地価動向は大都市に数年遅れて変動するのが一般的でした。そしてグラフのとおり、沖縄県の住宅地の地価は長期的な下落局面に入り、平成8年から平成25年まで、実に18年間にわたって地価の下落が続いたのです。
ここで注意が必要なのは、必ずしもバブル崩壊の影響だけでここまで下落が続いたとは言い切れないことです。リーマンショックによる世界的な金融不安や、SARS(重症急性呼吸器症候群)など外的要因の影響もあり、結果として非常に長い期間にわたり下落傾向が続きました。
沖縄の地価変動で特に特徴的だったのは、リーマンショック時の動きです。バブル崩壊時には、わずかながら上昇が見られるなど多少のタイムラグがあったのですが、リーマンショックの影響はすぐに現れました。この時期から、沖縄の地価動向は東京を中心とした大都市圏と似た変動を示すようになっていきます。いずれにしても、大規模な経済的ショックは地価に直接的な影響を与えるという点は、沖縄においても例外ではありませんでした。
地価の復活はいつ起きたのか?
新型コロナウイルス感染症の影響は非常に大きく、それまで続いていた地価の上昇は大きく鈍化しました(令和3年)。しかし、注意深く見てみると、わずかながら沖縄県の住宅地地価は上昇を続けており、その後も順調に上昇局面を迎えています。
特に、新型コロナ以前の地価上昇は非常に大きなものがあります。前述の那覇市・泊の地点はバブル期にはまだ届かない地価公示ですが、地域によってはすでにバブル期を超える地価になっている地域もあります。沖縄の地価は確実に、そして力強く回復しているのです。そこには、沖縄県のポテンシャルの高さを感じます。
一方で、地価の上昇はマイホームの取得をより困難にしている側面も否定できません。今後の地価動向を読み解く指標としては、公益社団法人沖縄県不動産鑑定士協会が毎年発表している「不動産DI(業況判断指数)」があります。近々発表される予定ですので、注目しておきたいところです。
次回は、バブル期との比較「商業地編」をお届けします。どうぞお楽しみに。