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Okinawa航時機 古写真から読みとく、当時の街の姿 沖縄が沈むのか! 「琉海ビル工事陥没事故」から47年

Okinawa航時機 古写真から読みとく、当時の街の姿 沖縄が沈むのか! 「琉海ビル工事陥没事故」から47年

事故現場2日目の映像より   撮影:山里景吉

Okinawa航時機 古写真から読みとく、当時の街の姿 沖縄が沈むのか! 「琉海ビル工事陥没事故」から47年

左)47年後の事故現場  右)陥没現場付近(那覇市前島2丁目)

起こるべくしての「天変地異」

 今から47年前の1973年11月26日夕方。沖縄の大動脈である国道58号線の半分を含む、広範囲の土地が陥没する大事故が起こった。
 地上20階、地下4階のビルを建築するために穴を深く掘ったところ、周囲の地盤が持ちこたえられず、工事のために掘った穴に崩れ落ちたのだ。このため周辺の道路はもちろん、周囲の民家もまるでサイコロの様に転げ落ちていった。場所は那覇市前島2丁目、今で言うと「とまりん」の向かいにあるパチンコ店の土地。当然、国道58号線も機能しなくなり大混乱が生じた。
 僕はそのころ近所に住んでいたので、事故の一報を聞いて見に行こうとしたのを親に止められた。実はこの1973年と言えば、映画『日本沈没』が空前の大ヒットを記録した年で、子どもならずとも天変地異には興味津々だったのだ。
 しかしこの事故は完全に人災であった。事故の前兆は、半年前から始まっていた。工事の着工とともに小さな地割れが起こり、近所の家が傾き、戸が閉まらなくなるなど、地盤の弱さから来る大きなひずみが静かに進行し、地域に不安を投げ掛けていたのだ。まさに起こるべくして大惨事が起こった。
 2年後に控える沖縄海洋博を当て込んだホテルの建設ラッシュ時代で、資材人材の不足が叫ばれる真っただ中だった。もともと泊港周辺は安里川の運ぶ砂が堆積した軟弱な土地であり、資材不足で十分な補強工事がなされなかったことが、事故の原因であろうとも言われている。
 事故によって不通になった国道58号線を復活させるため、急ピッチで穴埋めを行い2日後には無事に開通することになるが、穴に落ちた住宅は、家財道具も持ちだせぬまま埋められてしまい、被災者の方はホテル住まいが強いられた。
 それから、この土地は長いこと駐車場のままだった。「不吉だからかな?」と思っていたが、実は土中に埋まった瓦礫を撤去する必要があるためらしく、それが開発に及び腰になっていた原因なのかもしれない。

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