歩いて見つけた 石獅子探訪記 その4
各地に鎮座する村落獅子を訪ね歩き、調査を続ける若山夫妻。石獅子をめぐるレポートを毎月お届けします。
週刊かふう2016年4月1日号に掲載された内容です。
その4 糸満市の巻
■激戦地に残る貴重な石獅子たち
糸満市には、新しい石獅子と古くからの石獅子を含め、照屋1体、国吉2体、座波1体、与座1体、真栄里1体、名城1体、大里1体の8体が現存しています。特に南部一帯は沖縄戦最大の激戦地だったため、今、石獅子の形跡を探そうとしても探しきれない状況で、消失したのものあるのではないかと思います。
今回は、ハイレベルな石獅子と、一度盗難にあった珍しい石獅子を紹介します。
■ハイレベルな照屋の石彫獅子
糸満ロータリーの東に位置する照屋集落。ここの石獅子は、ヒーゲーシ(火返し)として設置されたもので、人々から、ヒーザン(火の山)として恐れられていた八重瀬岳をにらむように鎮座しています。
この石獅子は「照屋の石彫獅子」として糸満市の有形文化財に指定されていて、そばにある説明書きによると、旧暦10月の「ニーゲーシの御願」の時には、村御願が行われるそうです。獅子に関する資料が残っていないため、制作者や作られた年代は不明です。
照屋の獅子は、市内に残る石獅子の中でも美術的な価値が高いと言われています。細かい彫刻が施されていて、特に顔などは県内でも有数の精細な作りではないかと思われます。この石獅子を手本に作られたとみられるものはたくさんあり、石獅子のモデルというか、先駆者(先駆獅子?)でもあると思います。制作時期は不明ですが、このことから南部では随分と古い石獅子だと推定できます。八重瀬町富盛の石彫大獅子に次いで、2番目に制作されたのではないかという説もあります。
■舞い戻った!? 名城の石獅子
名城集落の南にある石獅子は、その南の喜屋武と海の方を向いています。作られた時期は不明ですが、一度何者かに連れ去られ、数カ月して戻って来たという珍しい石獅子です。
石獅子について調べていると、ほかにも八重瀬町新城、南城市玉城中山などで、盗難にあった獅子の話を聞きます。盗まれて消失したものや、戻ってきたもの、また、盗んだものの重すぎて途中で持ち帰るのを断念したような引きずられた跡があるものなど、盗難にもいろいろな事例があるようです。名城集落では、石獅子を盗んだ人に災いが続いたため、嫌になって返しにきたのではないかと伝えられているようです。
よその石獅子を盗んで、いったいどうするのでしょう。売れるわけでもないし、密かに長年そばに置いて希少価値が高くなるのを待つのでしょうか?
こんな話を聞いたことがあります。豊作祈願で石獅子を作った集落が、献身的な祈願のおかげもあって毎年豊作が続いたそうです。しかし隣の集落では不作が続き、石獅子をうらやましく思った人が盗んで行ったというのです。常識的に考えたら、盗んだもので良いことが起こるわけがないのですが、石獅子はそれほどのエネルギーをもっており、人の心さえ惑わしてしまう存在だったともいえると思います。