琉球・沖縄年中行事 なんでもQ&A ミーサの多様性
週刊かふう2024年5月10日号に掲載された内容です。
ミーサの多様性
Q:祖母が99歳、父も99歳で大往生した当時、母がユタのもとへ、私と嫁はカミンチュのもとへ『ミーサ』に行きました。私は、『ミーサ』とは青森県のイタコのように死者の魂が乗り移った「口寄せ」だと思い込んでいました。私の地域でも多くの人が「ミーサに行く」と言われています。先月のこちらの連載では、『ミーサ』のことを「新仏」と書かれていました。私たちの使い方は間違っていたのでしょうか? また、亡くなった人の思いを聞きに行くことは、『ミーサ』でなければ、しまくとぅばでなんというのでしょうか?(豊見城市・Oさん)
A:Oさんの着眼点、とても専門的で素晴らしく、このように深いご質問をいただけることを大変光栄に思います。結論から申し上げますと、Oさんや地域の皆さまの『ミーサ』の使い方……ご安心ください、大正解です。少しも間違えておりません。
『ミーサ』とは
調べさせていただきますと、豊見城市のO家は元々、ヤードゥイ(屋取り)という、スイジュン(首里の作法・心得で儀式・法要を行われるムンチュウ〈門中〉)であることから、『ミーサ』を「口寄せ」としてご使用されているのでしょう。もちろん、私が前回の記事(シーミーのしきたり)でご説明させていただいた『ミーサ』=「新仏」も学問的に主流となる学説を参照としています(ので、コチラも正解です)。ここが、『ミーサの多様性』とでもいうべきところかなと思います。
『ミーサ』の直訳は、しまくとぅばの「ミー」=「新」と、「サ」「サー」=「仏(ほとけ)」の単語から成り立っています。沖縄の先人の方々は、「仏(ほとけ)」を意味するサンスクリット語(インドの古い言葉)などの韻(発音)を踏み、いつしか「サ」「サー」という発音に行きつき、「仏=サ・サー」と呼ぶようになった、というような文献を読ませていただいたことがあります。
この『ミーサ』という単語には使用できる期間がありまして、本来、故人さまのご臨終から三回忌までが正式な『ミーサ』です。すごくレアな考え方として、重箱のお餅やカマボコが白色の期間が本来の『ミーサ』なのだそうです。つまり、ワカスーコー(若焼香)の十三回忌までということになりますよね。これはあまりに長いということで、今では三回忌や一周忌や四十九日に短縮されています。
イラスト/帰依剛龍
しまくとぅばで表現すると
さて、Oさんたちが、ユタなどの先生方の口寄せのことを『ミーサ』と呼ぶことは、いささかも間違っておりません。ミーサは喪中という悲しみの期間の名称で、沖縄では、その喪中に行うことすべてが『ミーサ』という呼び方をされる傾向にあります。つまり喪中にユタなどの先生の所へ行くことも『ミーサ』ですし、ときには、私がお葬式に着る衣装(お袈裟〈けさ〉やお衣〈ころも〉)のことをユタの先生などは、「グソースガイ(死装束〈しにょうぞく〉)」とか『ミーサ』と呼ばれることもあります。
学問的に申し上げますと、『ミーサ』を名詞としてとらえれば「新仏」「喪中」であり、行動に関係する動詞としてとらえれば、ユタの先生の所へ行くことも、私が衣装を着ることなども、関連するものすべてが『ミーサ』となる傾向にあるようです。これはこれで、わかりやすく、とても興味深い沖縄のジンブン(知恵)かと思います。
あえて、ユタの先生のところへ行くことをしまくとぅばで表現するとすれば、「ユタコーインする」「ユタコーヤー」とおっしゃる方々がおられるようです。この表現は、私は個人的にあまりお勧めしていませんので、同じくよく使われる、「グソーナレーする(ウヤファーフジ〈ご先祖さま〉のお住まいになられている仏さまの世界である極楽のことをご指導いただく)」とか、「トータビタダシする(唐旅という故人さまの成仏の過程をご指導いただく)」という表現が良いのではないかと思うところです。
もっとも、Oさんや地域の皆さまがご使用になられている「ミーサに行く」という表現は、とても美しいしまくとぅばであり、故人さまやご指導いただくユタの先生へも敬意を表していることから、これからも今までの表現をそのままご使用いただければと思うところです。
当時、『ミーサ』していただいたおばあさまとお父さまも、きっとご安心されていたのではないでしょうか?