琉球・沖縄年中行事 なんでもQ&A 『琉球・沖縄のしきたり』にない『しきたり』

週刊かふう2026年6月12日号に掲載された内容です。
Q:帰依さん、先日は、自宅の起工式をありがとうございました。子どもたちもヤシチヌウグヮン(屋敷の御願)に参加させてもらい、とても大喜びでした。一つ疑問なのですが、当日、どうして起工式の土地に車を停めず、近所のコインパーキングを利用したのですか? こっちに停めたら無料だったのに、大変申し訳なく思っています(Mさん・那覇市・40代・女性)
A:Mさん、ご自宅の起工式、誠におめでとうございます。コインパーキングの件は、私なりのこだわりといいますか、『琉球・沖縄のしきたり』にない『しきたり』とでもいいますか、恩師の所作などをミンナリーチチナリー(見よう見まね)したものですので、お気遣いさせてしまったことを平にご容赦ください。
人を大切にする、目に見えないものを敬う
私は、コザ最古の寺院、球陽寺(コザ本願寺)にイリムーク(養子)して27年になりますが、『琉球・沖縄のしきたり』の懐の深さに感銘を受けまくる毎日です。沖縄は、とにかく人を大切にするというか、目に見えないものを敬えるというか、私が浅学のため、見逃したり聞き逃したりしていることも多いはずですが、それでも自分なりに記憶に残っている範囲で実践をさせていただいています。
例えば、ニンチスーコー(ご法事)のとき、大人はもちろん、物心つくかつかないかの小さなお子さまが、ヒラウコー(平御香)をきちんとカミテ(額に押し頂いて)から焼香される姿を垣間みるとき、そのお子さまのお心内にはウヤファーフジがトートーメーにちゃんと居られ、まさに幼くして「いのちの尊さ」を身につけている心の豊かさそのものではないかと温かい気持ちになるのです。
とあるときなど、北谷だったのですが、制服からして中学生でしょうね。早朝の通学時間帯と私たちのお葬式の出棺時間帯が一緒になり、私の前を行く霊柩車が信号待ちをしているとき、このお二人の女の子たちがおもむろに背中のリュックを下ろし、霊柩車に向かい、合掌されていましたからね。私はハンドルを握りながら、その姿を拝見し、「この中学生のお子さまのご家庭では、日頃から、いのちの尊さを話されているんだろうな~」と、涙の出る思いを体験させていただいたものです。
起工式(地鎮祭)のしきたりの応用
ご指摘の駐車の件ですが、琉球・沖縄のしきたりを畏敬する一部の地域・家庭、また、ユタなどの先生方は、起工式・墓納骨など、屋外における儀式・法要のとき、能舞・歌舞伎などの一部の所作と同様、「前進は左足、後退は右足」の誠に洗練されたお気遣いをなされています。
沖縄でいいますと、ユスミ(四隅)のヤシチヌウグヮンなども同じ所作が見受けられ、組踊りなどの所作を取り入れているとの説もあるとのことです。私が日常とする世界でも、前進は、「左右左右(さうさう)」、後退は、「右左右左(うさうさ)」との作法があり、行きつくところは同じものなのであることを知らされます。
もちろん、Mさんの先日の起工式でも、私は起工式の土地に対して左足から入り、右足から出させていただきました。その延長で、起工式を行う司祭者(儀式の代表者)である私が、畏敬すべき土地に対して、自家用車を乗り付け、その上に『重し』の如く駐車すること自体に違和感を覚え、近所のコインパーキングを利用させていただいたという次第です(とはいえ、他に駐車する場所がないときは、私も起工式の土地を利用させていただいています)。
あらためて、私の個人的見解の『しきたり』かもしれませんが、『琉球・沖縄のしきたり』にない『琉球・沖縄のしきたり』を学べることのありがたさ、向学の志に恵まれる日々を送らせていただいています。沖縄の恩師の先生方には、「グ指導ンカイ感謝イタサビーン(ご指導に感謝いたします)」。
※本稿は、起工式における土地への駐車を賛否するものではなく、沖縄の儀式・法要を畏敬する、あくまでもエピソードの一例ですので、他の方への賛否の流用なきよう、心よりお願い申し上げます。

